酒害相談講習会

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酒害相談講習会



 今は亡き小杉好弘先生が平成20年度の講習会にレジュメとして寄せられた文章です。
 「酒害相談講習会」の経緯、意義がよくわかります。

酒害相談講習会のはじめにあたって…… 小 杉 好 弘

大阪府断酒会の発足とその歩み

 「近畿断酒連盟・大阪断酒会」として、昭和41年11月5日に浜寺病院本館1階クラブ室にて発足例会が行われた。参加者は初代会長 二見泰之助 氏とほか4名、院内から 石野健夫 氏(大阪断酒会二代目会長)ほか4名並びに家族3名の合計15名、及び顧問として小杉が参加して開かれた。

 発足前夜
 初代会長が、浜寺病院に入院中の昭和40年の秋ごろから、当時自助グループとしては関西で唯一開かれていた武庫川AA(現在のAAではない)グループと接触し、それに強い感銘を受け、大阪にも自助集団を創ろうと決心する。インテリのS氏がAAの12のステップを翻訳し、ガリ版刷りにして回し読みをするなど勉強を続ける。その後、二見氏は全断連の存在を知り、昭和41年10月 下司先生の招請で高知へ行き会長の 松村春繁 氏とも懇談する。AAのステップの内容はすばらしいが、横文字が多く、バタ臭く、大阪は断酒会とAAの折中方式でやろうと決まり、会長と石野氏ほか1名で協議し、とりあえず近畿一円に断酒会を創ることを目的に「近畿断酒連盟・大阪断酒会」として発足する。
 最初は、第一・第三土曜日に浜寺病院院内にて例会を行う。そして、発足して間なしの11月末に、東住吉区のYさんの家で、第二土曜日に支部例会を開くことになる。
 昭和42年3月から利便性への配慮や広くオープンにするために、浜寺病院での例会は第一日曜日とし、第三・第四土曜日に大阪市立大学付属病院精神科外来にて19時から21時まで本部例会を開催することに決定する。この時点で、東住吉支部例会とあわせ月4回の例会開催となる。

 初代会長失敗し会の存続の危機
 昭和42年7月、初代会長二見氏、酔ってナイフを持ち本部例会に現れ、会員一同、恐怖に襲われる。副会長のY氏もたびたび飲酒して警察沙汰を起こす。会の発足以来、実働会員7名中、断酒継続者は石野氏ただ一人となる。会長が石野氏に交代する。その後、しだいに会員数が増え、一周年の時には登録会員は31名、実働会員16名となる。その当時は、大阪北野教会でAAが開催されており、多くのメンバーがAAと断酒会の両方へ参加していた。

 昭和43年1月に全断連に加盟決定
 近畿断酒連盟として発足した大阪断酒会であったが、全断連の呼びかけに応じて全断連に加盟を決定する。この年の4月に全断連理事会が大阪で開催され、松村初代全断連会長以下23名の理事が出席する。5月24日、初代大阪断酒会会長二見氏、不慮の事故にて死去。8月1日、機関紙「なにわ」創刊される。この年、新聞やテレビで大阪断酒会が取り上げられ、大きな反響を呼び、会員数が飛躍的に増加しだす。

 昭和45年4月より弘済院更正ホーム・アルコール専門施設発足
 当時の大阪のアルコール問題の最大の課題であった愛隣地区の単身アルコール症者に対する施設として、社会復帰のためのハーフウェイハウスが発足する。

 昭和46年5月アルコール問題研究所開設
アルコール問題に関心のある関係者が集い、啓発するための場として開設される。また、断酒会の効果を学問的に裏付け、さらに単身のアルコール症者の援助法についての研究の場とすることも目的であった。

酒害相談講習会の沿革とその目的

酒害相談講習会の始まり
第一回講習会は昭和48年4月
 先に述べたように、当初数人のメンバーで昭和41年に発足した大阪断酒会も数年を経て、ようやく基盤が固まり、昭和40年代の後半から会員数も飛躍的に増えだした。それとともに、アルコール対策の中に占める断酒会の必要性も、次第に世間に知られるようになってきた。
 おりしも、大阪断酒会の創設当時から、その活動をよく知っておられ、その重要性について深い理解と関心をもっておられた、当時の大阪府の精神衛生課に勤務されていた元精神科医のJ・Y先生の肝いりで、助成金を頂くことになった。昭和48年3月に、当時としては破格の200万円(その後減額された)が、アルコール問題研究所(前述)宛に交付された。その名目は、大阪府の酒害防止対策に役立てることであった。その使途について、名目以外に特別の注文はなかったが、その当時、定例的に開かれていたアルコール問題研究所の研究会に諮ったところ、断酒会の適正な発展を支援するために使用することに話が決まった。そこで、断酒会会員を対象に、酒害相談員講習会の名のもとに、専門家が講習を行いだしたのが、この講習会の始まりである。第一回の酒害相談員の講習会は、昭和48年4月17日に始まり、週一回ずつ約三ヶ月間に渡って計13回の講習を行った。その時の受講対象者は支部長以上の役職者とし、希望者を募って行った。以来、現在に至るまで、その講習会は続けられてる。
 このような講習会は、全国的に見ても大阪が初めての試みであり、10数回にわたって集中的に専門家による講習が行われる『酒害相談講習会』の形は、現在、全国の断酒会の『酒害相談事業研修講座』の範となっている。

目的と意義
 さらなる断酒の継続とよりよい自助活動へ
大阪府から助成金を頂くためには、それなりの名目を必要としたため、相談員の養成を行うということにして、酒害相談員講習会という名前が付けられた。しかし、その本当の目的とするところは、専門家の肩代わりをするためのものではない。むしろ、ボランティアとしての力を、よりよく発揮して頂くために、一定期間、お酒をやめてこられた方々に、次なる飛躍と断酒の持続のための手助けをしようとするのが、この講習会の目的である。つまり、さまざまの分野の専門家の講習を受けることにより、改めて、自己の酒害の整理や理解、洞察を深めていただき、さらなる断酒の継続への強化に役立てていただくのがその目的である。
したがって、この講習会の意図は、個人の断酒意欲の強化と、ボランティア活動としての断酒会の意義や、組織のあり方などを再確認していただき、よりよい活動につなげ、その結果として、断酒会のさらなる発展を期するところにある。

酒害相談講習会の成果
 「大阪方式」の画期的な講習会
全国に先駆けて大阪において始まった、三ヶ月間10数回に及ぶ内容の充実した酒害相談講習会の形は、いまや全国の範となっている。その講習会も、第一回から数えて今年で三十五回を迎え、その間の受講修了生はのべ二千名を越えた。この講習会に参加された人たちの、その後の断酒継続率は非常に高く、断酒会の組織率は大阪が全国一であり、また、断酒会の会員数も大阪が群を抜いてトップである。おそらく、このような成果に対し、この講習会が大きな役割を果たしてきたものと思われる。
 ご存知のように、当初、断酒会には、AAに見られるような12のステップや規範はありません。したがって、その活動のあり方も断酒会により、大きく異なっていた。長年にわたり、多くの受講修了者を生み出すことにより、ボランティア活動の意義や活動のあり方、位置づけなどが、断酒会員の中で意思統一され、調和を保つのに果たしてきた役割は、きわめて大きいと思われる。
 その結果、大阪のアルコール対策は全国的に、他に例をみない医療、行政、断酒会の三者が緊密な連携をとり、大きな成果を挙げてきました。このようなあり方は「大阪方式」と呼ばれ、全国のアルコール対策のモデルともなっています。この中心的な役割を果たしてきたのが、この酒害相談講習会なのです。
 自助集団の活動は、アルコール依存症の治療にとって、たいへん大きな位置をしめています。今後、ますます、社会的に重要な使命を帯びることになると思われます。その時、この酒害相談講習会が果たす社会的責任は、さらに重くなることでしょう。
 最後に、この講習会が、参加された方々の断酒の継続にとって、お役に立つとともに、ひいては断酒会の発展に繋がるものである事を願ってやみません。